旅の進路をどうとるか

今日は西安に来ました。

昨日、楽山にて申請していたビザを取得し、そのまま夕方のうちに成都へ。そこから西安まで夜行列車で来た。夜行は席がかなり空いていて、横になって寝ることが出来たのでそこそこ満足。杭州から広州に向かう14時間の夜行は、夜行だっていうのに立ち乗りの人がいるレベルで混んでいたので正直覚悟していたが、全然いらない心配であったようだ。やはり東沿岸部は人が多く流通も激しいが、内陸に行くと人の流れも減るということなんだろう。経済を象徴している。

 

さて、実はこの西安に行く前に、先日ブログでも書いたチベットに行くかどうか非常に悩んだ。チベットは入るのにパーミッションが必要なので、厳密には東チベットになる。四川省の西部はチベット族が住んでいて、生活様式チベット民族だが、四川省なのでパーミッション必要なく行くことが出来るので、チベットを見たい人にはオススメなのだ。

 

あれだけチベットの話をされたので、行こうかすごく悩んだ。しかし結局やめた。理由は大きく二つ。

一つは移動がわりと大変だということ。バスで1日中走り続けて16時間くらい。しかも4000mくらいの峠越えをして、吐く先の色達も3000mくらいあるため、体力的にそうとう持っていかれるのと、高山病のリスクもある。

もう一つは、これが大きいというか殆どなのだが、旅の目的を見失いかけていたからということ。先に言っておくとこの旅にそこまで大きな目標など立てていなく、飛行機無しで世界を一周ぐるっと回って来たい。西に向かって東から帰って来たい。というぐらいのことだ。だから世界中いろんなところをふらふらして、オススメがあればそこに立ち寄るような旅をしようと思っていた。実はこの考え方に沿うなら東チベットに行くことになる。でも行かなかったのは、自分がとても疲れているということに気づいたからだ。今まで上海についてから南下して香港に立ち寄り、そこから成都に来た。まっすぐ西に向かうわけでもなく、急ぐ訳でもなく、のんびり動いていた。これだけの行程で1ヶ月経っているのだから。そして成都に着いたのだが、自分が何も成さず、何をしようとしているのかもわからない状況に疲れていたのだ。九寨溝に行っても特に感動せず、寝まくっているのに疲れたなぁという感想のみ。はっきし言って生気が無かった。どうしたんだろう。つまらない人間になっちゃったなーと思っていたが、ふとこれからの先、シルクロードを渡って西に向かい、船でヨーロッパからアメリカへ、さらにアラスカの方まで向かうことを考えるととてもワクワクしてくる。それはなぜかと言うと、目的があるからだ。どこかに向かうという。つまりこの目的にそわずに、無目的にふらふら1ヶ月していたがためにとてつもなく疲れてしまったんだと思う。

 

目的地のない旅(イージューライダーの歌詞にあるが)、それをしたいと思っていたが、自分にはなかな合わないようだ。何かやはり一つの方向に歩きつつ、その道中の景色、出会いなど色々な出来事に柔軟に対応し、進んでいく、そんな旅がいいんだと思う。

中にはふらふら旅して何年間も、という人もいる。彼らが本当に旅を楽しんでいるかは分からないが、少なくとも俺にはそういうスタイルを通すことは出来ないことがわかった。20後半になって今頃気づいたのかよ、と言われそうだが、自分のことは一番わからない。そして何よりも人は無い物ねだりな生き物。自分の性格を把握しつつも、それとは違う生き方に憧れをもち、そうなりたい、そうしてみようと思ってしまう。でも、自分の性格を見つめて、それを自分の個性、良さとして捉えられるようにならないとその先の成長はないんだなと再認識した。

 

ありきたりなよくある発言だけど、こうやって改めて自分で気付き、文字に起こすことで再認識出来る。これも暇な旅人の醍醐味。